なんとなく

学生時代からずっと感じていた違和感がある。

言葉にしようと努力したし、「コレだ!」と思ったものを深く理解しようと思った。

逆にコレと思わなかった事象、物事に対して敬意を払ってこなかった。

 

今、齢36を越えてやっとそれに取り掛かっている。

ちょっとしんどい。

ダメな自分に辟易するし、情けない。

 

そんな毎日にも幸せを感じているし、諦めちゃいない。

 

唐揚げの太陽

お昼に私がたまに買う弁当屋は、愛想はないけど唐揚げが評判らしい。私にもとても好評である。
個人経営の長い店で、おじさんとおばさん、それに若い女性が一人。小さな店。
壁には所々に、雑誌や新聞で紹介された記事が切り抜かれセロファンテープで貼り付けられている。
それらに彩られた中央に、メニュー。
ハジの方に別紙で

「おかずだけもありますが割高になります。なるべく自分で作りましょう。」とある。

本来なら、うれりゃうった方がいいのではないか?
繁盛店などは、その時のニーズに合わせてちょこまか変えると仕事が遅れるし生産性が下がるが、だとしたら、最後の一行はなんだ?

おかずだけ買うっちゅうことは、コメは炊いたんでしょ?おかずつくるのめんどくさかったんでしょ?めんどくさがらずにやらんか!その方がきっと美味しいよ。満足が違うよ。な?


みたいなことなんだろうか。と妄想が膨らんだが、こうして書き出すのは億劫ですね。

タクラマカン砂漠

タクラマカン砂漠をしっているかい?
僕はまだ行ったことがないよ。

行ったら出られないんだって。
そう聞いたら余計行きたくないんだ。

タクラマカンってなんだか言いたくなるような語感があるね。
きっと砂漠は何処も入ったら簡単に出られやしないから、語感の良いタクラマカンが有名になっただけで、本当は大したことないんじゃないの?っておもってググるとこらや出られないわって感じに広くて絶句した。

どこへ向かうのか。

生活は別にそれらしく、上がり下がりしながら前へ進んで行く。
その中で、舵を取っている俺は航路を間違ったのじゃないかと不安でたまらない。

コンパスを見ていないからである。

じゃあ実生活においてのコンパスとはなんだろう。

方向指示器。

人生に南北があるはずもないし、四方を設定するのもまた自分である。

とするならば、中心がなくてはならない。

中心とは船。自らのこと。

船を構成する材木や機器、塗料や厨房のステンレス。それら全てを把握していなくても、私の身体という船は前へ押し進む。

心という航海士が、不安定ながらも舵をとる。

コンパスなどもとより、必要ないのかもしれない。

人生という大海原においては。

札幌一時帰省。野付。知床峠。帰省。

今日帰るわけだが、1日休みをいただいたドライブは有意義なものだった。
野付ネイチャーセンターにて鹿だらけ。
朽ちてゆく木々。遠くに見える丹頂鶴。
望遠レンズの人ばかりなわけである。

愛知県から来ていた看護師さんと倒れていたおばさんを救助。
センターの方からコーヒーをご馳走してもらい、いざ知床へ。

通りすぎるだけでもとんでもない景色。
時間を作って、また来なくてはならんなぁ。
ほんとすごかった。

道路脇に滝があったり、霧がかった日だったため峠の間ずっと水墨画の中に取り込まれたかのような幻想空間。

マリファナでも持ってくりゃ…きっとわけわからなくなって遭難する。
すごすぎて畏怖の念から、バッドトリップ間違いなし。

今日も昼までサンダーケレン。
地味に肩に来る。
だがおっけー。帰ってやりたいこともたくさんあるし。
人生初出張これにて幕。
そろそろ朝飯食って来まーす。

昨日

部屋が空いたとのことで、1人部屋になった。部屋を出たとこすぐに小さい本棚。
古い週刊誌と古いジャンプなどが飛び飛びで置いてあったので、テラフォーマーズの総集編本を暇つぶし。

mステをテレビでかけてたら、満島ひかりが出ていて見てしまう。

今は現場の待ち時間。
k氏がお得意の皮肉交じりの優しさで、「大した段取りもないんだから落ち着いて座ってタバコでも吸ってろ。」というが、天気がいい漁港において、船が出て行く姿を無視できない。

野付半島に


地理的なことはよくわからないが、なんだか面白い。
2人部屋ということで、kさんと映画談義からの仕事の話。
飲みに行く機会がない先輩との明日の段取りから仕事に対する向き合い方。とてもいい時間を過ごした。
おっといけねえ歯を磨こう!